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2004年11月21日 (日)

ミラー・ケラー-美しき女幹部ふたりのプロフィール

Kojob

「美しく、セクシーな女幹部」-最近の戦隊ものでは当たり前の設定だが、一昔前の悪の組織はまったくの男社会で、女性も蜂女みたいな怪人やアマゾネスのような方々ばかり・・・デンジマンにおける「ミラー・ケラー」は女性幹部が二人という設定も初めてのものだったが、その妖しい美しさは「セクシー系女性幹部」の先駆けといえよう。

ケラーを演じた湖条千秋さんが宝塚歌劇出身(雪組)であることは(ファンの間では)よく知られている。元々は男役だったが、途中で娘役に転向された。宝塚時代には、1975年「ベルサイユのばら」のジェローデル少佐(新人公演のみ)、76年の「星影の人」の加代、77年「あかねさす紫の花」では小月など、主役級ではないが難しいキャラクターを演じている。そろそろいい役がつき始めた時期に思い切って退団されたようだ(1979年退団)。時代劇がやりたいということで東映を選んだが、退団後の最初の仕事がいきなり「特撮もの」-デンジマンだった。ケラーの衣装についてはかなり恥ずかしかったそうだ。デンジマン出演後は、特撮作品(マシンマン-レディM, シャリバン-レイサ)にも出ているが、時代劇の悪女役でのギラギラ演技には定評がある。全然年をとらない不思議な女優さんとしても有名。1955年生まれで、放映当時は25歳。妹の湖条れいかさんもタカラジェンヌで星組トップ娘役をつとめた。写真はザ・レビュー公演時のもの。

Mikawa2b ミラー役の美川利恵さんは驚くほど多彩な経歴を持っている。まず1972年度のミス日本になり、その後は、万博コンパニオン、ファッションモデル、テレビレポーター、得意の英会話で外国映画に出演などしたが、一度芸能界を引退。78年に男性週刊誌のグラビアでヌードを披露したことをきっかけに、79年3月に日劇ミュージックホール(81年に閉鎖,有楽町マリオンに改築)のヌードダンサーとなっている。初舞台は「乳房に舞う蝶のいたずら」。最近のミス日本受賞者は続々とヌードになるので珍しくないが、当時は相当話題になったようだ。美川さんはモダン・バレエ歴10年の実績を持っており、劇中でみせた踊りのシーンで湖条さんに少しもひけをとっていないのも頷ける。79年夏の「バトルフィーバーJ」能登半島編の女スパイ役でのゲスト出演が、翌年のデンジマンでのレギュラー出演につながったのだろう。放映当時は27歳だった。ヘドリアン女王はタカラジェンヌとミス日本を従えていたことになり、今では考えられない豪華な配役だったわけだ。あきらさんも79年度ミス日本なので、デンジマン出演者にはミス日本が二人もいたことになる。

ミラーとケラーは、へドリアン女王に仕える侍女そしてベーダーの女スパイなのだが、ある時は、秘書、踊り子、看護婦、占い師、受付嬢、深夜放送のDJ、はたまたハンバーカーの売り子さんと作戦に応じて七変化する(テロップには役名がなく名前しか出ていないのはそのためではないだろうが)。女王に仕える侍女としては同格のようであるが、どちらかというとケラーの方が格上というか姉貴的役回りが多い。ケラーの表情を変えずに戦闘員を指揮し、「抹殺せよ!」のセリフはゾクゾクするほど決まっていた。それにしてもヘドラー将軍も含めてこの人たち“幹部”なのに現場に出てよく働く働く。女王があんな感じだし、ベーダー怪物もダストラーもいまいち頼りにならないのはわかるんだが・・・
ミラー・ケラーの名前の元ネタはやはり一世を風靡したピンクレディの“ミーとケイ”からだろう。1979~80年といえば、ピンクレディの人気が最高潮に達しそろそろ人気にかげりが見え始めていた時期(実際の解散は翌81年)。1980年は山口百恵の引退した年でもあり、松田聖子のデビュー年でもある。デンジマンは新機軸がたくさん盛り込まれた作品だが、芸能界にとっても1980年は時代の変わり目だったようだ。デンジマン以後の作品では、悪の女幹部が必ず設定される時代となったが、ミラー・ケラーの成功はキャラクター設定もさることながら、湖条さん、美川さんお二人のすごい“オーラ”によるところが大きいのではないだろうか。

参考文献:
「宝塚おとめ」1976年版 1976/8/1, 「あかねさす紫の花 ザ・レビュー(宝塚歌劇11月雪組公演)」1977/11/1
「アサヒ芸能」1979/3/1 p.31, 「週刊読売」1979/3/25 p.166, 「週刊プレイボーイ」1979/2/27, 「週刊平凡パンチ」1978/12/25

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2004年11月19日 (金)

新宿中央公園④-#16 熱海の陰謀を砕け, #38 無限魔空の大冒険, #43 謎なぞ七色レディ

Dm051kouenkobashi ちびっこ広場東の公園小橋下の道路(橋の北側からみた)。道路の先にみえる高層ビル-新宿パークタワーは放映当時はなく、東京ガスの建物があった。#38では千恵子巡査の追跡してきたスピード違反車が超異次元へ飛ばされてしまう場所。千恵子巡査が立っていたのは写真左端。
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Dm162kobashi104b #38で千恵子巡査がミニパトの脇に子供たちと立っていたところ。映像に映っている丸い穴のたくさん開いた変な形のモニュメント状のもの(実は東京都水道局の淀橋給水所の換気口)は右手にまだ残っている。緑川に電話していたのもおそらくこの近くだろう(現在この辺りに電話ボックスはないので、劇中の赤電話は小道具かもしれない?ドラマの撮影ではよくやってる)。

Dm160kobashi101 公園小橋を南側からみたところ。#16では細菌学の権威・小川博士の怪死現場。この道路-車が消失したり、人が土くれと化したり、画家が電話に襲われたり、劇中では評判の“怪事件スポット”となっている。どうもこの道路周辺を千恵子巡査はマーク?しているらしく、劇中でよくパトロールしているが、とうとう#43では千恵子巡査本人が連続美女誘拐の9番目の被害者として拉致されてしまう。この道路、昼間でもほとんど人も車も通らないところ-撮影には好都合だったんだろうなあ。
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Dm161kobashi102 #16
でミニパトを降りた千恵子巡査の後ろに立っていた街灯の柱。この後ミラーとケラーの車が小川博士の怪死現場を通り過ぎていく。

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2004年11月17日 (水)

新宿中央公園③-#20 ゴリラ少年大暴れ, #29 超能力刑事の急襲, #32 地獄の大銃撃戦

Dm156ohhashi101 #32でアスレチッククラブ送迎バスの見送りシーン。あきらの後ろにみえるのが中央公園と南側のちびっこ広場をつなぐ「公園大橋」。送迎バスの停まっていた場所は現在都営バスの停留場になっている。#47では同じ場所で赤城をデートに連れ出した人魚姫がアメ車をみて「あれに乗りましょう」というシーンも撮影されている。結局その後ドライブしてるから、勝手に乗っちゃったんだろうなあ?
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Dm157ohhashi102 #29で洗脳されたポール伊崎が赤城に襲いかかったのが公園大橋の上。左後ろに公園小橋の欄干がちらっと映っているので、伊崎はちびっこ広場側からやってきたことがわかる。赤城と伊崎が橋の上で戦うシーンの後ろに新宿の高層ビルが並んでいるが、現在は手前に都庁がドーンと建っている。
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Dm158ohhashi103 公園大橋のちびっこ広場側の脇には石段があるが、#20ラストでは赤城と子供たちがランニングしながら登ってくる。写真左に石段があり、赤城たちは公園大橋を右に曲がって公園小橋を渡っていく(小橋を渡るシーンはないが、次シーンから推定)。
Dm159ohhashib104 #20ラストで赤城と子供たちが空手の練習をしている広場。上写真のつづきだが、ちびっこ広場側から東へ公園小橋を渡ったところ。現在ここはお年寄りのゲートボール場(球技用のグランド)になっている。#01のアイシー登場シーンもここ。
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2004年11月14日 (日)

新宿中央公園③-#33 吸血楽器レッスン

Dm154kumano101 #33で三郎を探す黄山が階段の上で聞き込みしているシーン。新宿中央公園西北隅にある熊野神社で撮影されているとわかったが、残念ながらこの階段、改修工事されてすっかり形が変わってしまっている。鳥居が上の方にちょっとみえている。
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Dm155kumano102 同じく#33の三郎捜索シーンで、青梅が小さな祠にお参りしているおばさんに話しかけているところ。上の階段が改修されていたのでこのお地蔵さんはないだろうなあと思っていたら・・・ありました。ちょっとボロボロになってるが、階段脇の駐車場の隅に残っていた。「福徳子育地蔵尊」と書いてあり、由来等調べてみたがよくわからなかった。
Dm155kumanob103 熊野神社は西新宿をはじめ、新宿駅周辺から歌舞伎町に至るまでの新宿総鎮守とされている。室町時代の応永年間(1394~1428年)に中野一帯を開拓して中野長者と呼ばれた鈴木九郎正蓮が紀州熊野権現を勧請したのに始まる。今は跡形もないが、昭和の初めまで神社の西側に十二社の大池が広がり舟遊びが楽しめるなど、江戸西郊の景勝地として賑わったそうだ。ちょっと信じられないが、神社裏手には十二社の滝と呼ばれる大きな滝もあったという。地名の十二社は“じゅうにそう”と呼び、熊野三山の上四社、中四社、下四社(計十二社)の神々を合祀したことに由来する。

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2004年11月11日 (木)

新宿中央公園②-#29 超能力刑事の急襲, #20 ゴリラ少年大暴れ

Dm049nijinohasi 新宿中央公園から西新宿のビル街へ渡る「虹の橋」。#29ラストで、水の広場の階段を下りてきたポール伊崎とデンジマンの5人が公園 を出てこの橋を渡って行く。この後、6人はどこへ行ったのか?放映当時とは橋の欄干などが変わっている様子。ところで6人が下りてきた階段は水の広場南側の階段なので、階段を下りると虹の橋へは行けなくなってしまう?(撮影の効率化のために、橋に近い方の階段を使ったんだろうなあ)
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Dm153mizunohiroba202 #20で三太やゆみ子にバカにされた茂が暴れているところに千恵子巡査のミニパトが駆けつけるシーン(虹の橋の少し手前の坂、後ろにセンチュリーハイアットがみえる)。この後、千恵子巡査は茂に吹っ飛ばされる(このシーンは大泉撮影所のオープンセットでの撮影みたい)。茂が緑川を植え込みに投げ飛ばすシーンもこの近くと思われるが、当時と植木の状態がかなり変わって残念ながら特定できない(このシーン、あきらさんのパンモロシーンとしても有名なんだけど・・・)。

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2004年11月 8日 (月)

桃井あきら-伝説の戦隊ヒロイン

Akira2b 「桃井あきら」-知る人ぞ知る戦隊ヒロインだが、実に忘れられない要素が多い。まず名前-最初“あきら”と聞いて男だと思ったら実は女。確かにあきらって女性の名前にも使われるが、この名前のおかげでしかっりと記憶にインプットされた方も多いのではないだろうか?ピンクを演じた小泉あきらさんの本名は「秋野 昇」。芸名の「小泉あきら」は東映の吉川進プロデューサーと竹本弘一監督が名付け親とのことだが、下の名は本名「昇(あきら)」だったわけだ。

実は小泉あきらさん、「’79年度ミス日本(第11回1978/12)」の華麗な肩書きを持っている。グランプリ受賞ではないが、正真正銘ミス日本の一人。ミス日本は、数千人の応募者から各地区予選が行われて、グランプリを含めて5人がミス日本、他に5人が準ミスとして選ばれるシステムなので、ミス日本は複数存在する。戦隊ヒロイン中ミス日本は小泉さんがいまだ唯一人だろうし、その美貌に高年齢層のファンの人気が集中したのも無理はない。#43::謎なぞ七色レディで「私が囮になるわ」と妙に自信たっぷりに演じているのはやはりこの肩書きのおかげか!?#43でみせた華麗な七変化-「戦隊シリーズ恒例のヒロイン七変化話の基礎を築いた」といわれる歴史的なエピソードとなっているが、1話中で14変化(本編以外も含めるとなんと18変化!)の記録?は戦隊シリーズ史上いまだ抜かれていない。#43の七変化は変装というよりほとんどコスプレに近いのだが・・・※七変化話については再度コラムで取り上げる予定
小泉さんは静岡県出身で、県立静岡東高校を経て日大芸術学部音楽学科に在学中に、デンジピンク(桃井あきら)役に抜擢された。音楽の先生の資格を持ち、特技はピアノとあるから、#02:人喰いシャボン玉や#09:死を呼ぶ怪奇電話、#12:危険な子供スパイなどの劇中でみせたピアノの演奏は上手なはず(ある意味本職!)。それに比べるとウインブルドンを目指していたはずのテニスの腕前は???

小泉さんは1981年の資料では劇団NLTの研修生となっているが、ドラマ出演歴はデンジマンが唯一の作品で、その後はモデルとしてCM出演、ファッション誌やカタログ広告などで現在でもご活躍中(現在の芸名は弓あきら)。マドモワゼルというモデル事務所に在籍している。1988年のムック本には「ゴーグルV」や「ダイナマン」のブラック役で有名な春日純一さん(#40では岬達也を演じている)の奥さんとある。
Akira1ab 桃井あきらメインのいわゆる“あきら編”は10話程あるが、他の回でもメイン出演者のサブとしていつもくっついて行動しているので、桃井あきらはほとんど主役といってよい!?また、とにかくこまめにあるのがデンジピンクのピンチで、よく襲われる、拉致される、監禁される、洗脳される、負傷する、惚れられる?・・・この点では黄山(デンジイエロー)と双璧をなす?桃井あきらの普段着は、春(青色のホットパンツ#01~15) 夏(ピンクのミニスカ#16~36) 秋(赤いロングスカート#37~42) 冬(セーター+ミニスカ#43~51)と変わる、普段着の種類も戦隊シリーズでは多い方だろう。特に夏服のミニスカは膝上30cmとマイクロミニに近く、戦隊初のミニスカヒロインとして(特に大きなお友達に)人気が高い。

変身後のデンジピンクの中には男性-女性よりも女性らしい動きをするスーツアクター・竹田道弘さん(現在戦隊もののアクション監督)が入っていたことは有名な話だが、最近「東映ヒーローMAX」Vol.10(2004/8/2,辰巳出版)の小野寺えい子さんのインタビュー記事をみて、小野寺さんが桃井あきらのスタントもやっていたことを知った。#18:南海に咲くロマンや#35:謎のはたおり姫 でのあきら素面のアクションシーンは男の人だと思っていたが、実は小野寺さんだったらしい。

戦隊ヒロインアイドル化の先駆け」「番組の華としてよりアピールを始めた最初のヒロイン」などと評価される桃井あきら-小泉あきらさんだが、現在にいたる“ヒロインブーム”牽引の立役者の一人としてこれからも永く語り継がれることだろう。

1959年2月21日生まれ(出演時は21歳)
身長165cm 体重50kg B84 W60 H88

参考文献:
「映画情報」1980/6月号(国際情報社), 「週刊プレイボーイ」1980/5/6(No.19), 「日本タレント名鑑」1980年版 1980/11
「B-CLUBビークラブ」82号1992/9/15(バンダイ)p.17, 22
「スーパーヒロイン画報(1967-1997)」1998(竹書房)p.75, 102
「宇宙船別冊スーパーギャルズ・コレクション」1983(朝日ソノラマ)p.2~5

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2004年11月 6日 (土)

赤城一平-元祖イケメンヒーロー!?

Yukib 「変身シナイデ!デンジマンの結城真一が大モテ」-デンジマン放映中の1980年6月の女性週刊誌の記事だが、劇中では「あの赤城がモテるわけない(#40:朝日に消えた人魚)」といわれた結城真一さんに、実はファンレターが山のように届いていたという(なんと毎週20~30通も!)。それも子供ではなく圧倒的に若い女性からのものだったらしい(ファンレターの30%がOLさんで、残りは子供たちのお母さん!?)。

最近の特撮ヒーローの傾向は、なんと言っても変身前のヒーロー役に「イケメン」俳優が起用されていることだが、結城さんは24年前に人気を先取りしていたことになる。結城さんは今はやりのショーユ顔ではなく、出演者の中でも一番“濃い”顔だが(二番目は大葉さんか?)、1980年がまだまだ熱い時代だったことがこのエピソードからも窺われる。1954年5月11日生まれ、出演時は26歳だった。デパートの企画室に勤務していたが、モデルの仕事に駆り出されたのを機に転身(紳士服とかすごく似合いそう)。

また先の週刊誌記事によると、高校時代(北海高校)に甲子園に2回出場、南海ホークス(現ダイエー)からも誘いを受けた腕前だったという。確かに、北海高校(札幌市の名門私立で甲子園最多出場校、夏のみで33回出場!)は1970年と71年の夏の大会に連続出場している。結果は残念ながら1回戦敗退(1970年::滝川[兵庫]13-北海[南北海道]10, 1971年:美方[北陸]3-北海[南北海道]1)だったが、結城さんが高校球児だったことの方がちょっと驚き。#17:泣くな!野球小僧の回は結城さんメインの方がふさわしかったかもしれない。結城さんの本名は資料もなくわからないが、甲子園の新聞記事にみえる三和投手がそうではないかと想像している。
Toeiheromax11 デンジレッド(赤城一平)を演じた結城真一さんについては情報が極めて少ない。デンジマン出演後もいくつかのドラマに出ているが、その後芸能界から遠ざかってしまったせいもある。ネット上ではとんでもない噂話(デマ)が飛び交っていたが、先日発売された「デンジマンDVD」Vol.4と「東映ヒーローMAX」No.11(2004/11/1,辰巳出版)に掲載された座談会で、お元気な姿が明らかになった。座談会の詳細は各々の記事を読んでいただくとして、デンジマンに集った関係者の若い熱気が伝わってくる。「DVD」Vol.5の座談会記事(後編)も今から楽しみ!

参考文献:「週刊女性」1980/6/24 p.166, 「週刊平凡」1980/6/12 p.129

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2004年11月 5日 (金)

新宿中央公園-#29 超能力刑事の急襲, #32 地獄の大銃撃戦, #19 私の星の王子さま

Dm150mizunohiroba101 新宿中央公園の「水の広場」に面した階段(南側階段を上からみたところ)。#29ラストでポール伊崎とデンジマンの5人が階段をふざけながら下りてくるところ。階段下には大きな円形の噴水がかつてあったが、残念ながら数年前に撤去されてしまった。最近の地図でも広場中央に水色の円が描かれているものがある(実はこの噴水を表したもの)。この噴水-いろいろなドラマの撮影で使われており、特撮ものでも多い。古い作品だと「怪奇大作戦」(1968年,TBS)の#05:死神の子守唄で使われているのは有名。デンジマン#33では、緑川が円形噴水そばで子供たちに聞き込みしている。広場奥に新宿ナイアガラの滝と呼ぶ人工滝があるが、この滝は1982年に造られたもので放映当時はまだなかった。
地図情報
Dm050mizunohiroba 水の広場に面した階段は北と南にあるが、両脇の石垣の石の形から#29の撮影は南側で行われたことがわかった。
Dm151mizunohiroba103 #32ラストで緑川が千恵子巡査に突き飛ばされるシーン。こちらは水の広場北側の階段で撮影されていた。千恵子巡査に説明しようとする赤城たちの後ろに階段状のものがちらっと映っていることから判明した。現在北側階段の上には東屋が設けられているが、放映当時はまだなかったようだ。
Dm152mizunohiroba104  #19で青梅と緑川がなるみを探して公園にやってくるシーンがあるが、後ろに銅像(写真右端)が映っている。現在中央公園内にはダンボールハウスがたくさん建てられているが、特にこの銅像周辺は密集度が高い。怒られるんじゃないかとカメラ向けるのもひやひや。

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2004年11月 3日 (水)

荒川土手②-#40 チャンピオンの敵

Dm135arakawa201 #40で練習中の岬達也に車で近づいたロッキー鬼浜(ヘドラー将軍)とケラーが立っていたところ。JR北赤羽駅の北東に荒川と新河岸川が並行して流れ、二つの川が中央の土手を共用している場所があるが、この土手の上がロケ地。写真右側が荒川で中央に流れているのが新河岸川。建物が少し増えているが当時の雰囲気はよく残っている。

達也はアタッシュケースにぎっしり詰まった百万円の札束を見せられ、銀河拳への移籍を決意するが・・・百万円の厚さは約1cmらしいので、映像にみえている札束の数は15個、鞄の深さが7cmとすると、1500万円×7段=ざっと1億円入ってることになる。契約金としてこれはちょっと高すぎないか?ヘドラー将軍が太っ腹なのか、達次くんの手術は相当難しいのか・・・(そもそもボクサーを引き抜く際には元いたジムに移籍金が払われるものらしいけど?ベーダーのことだからこれはなしだろうなあ) 同じ場所では、赤城が達也を探し回るシーン、ラストの達也とジムメンバーの練習シーンなども撮影されている。
地図情報
Dm136arakawa202上のシーンの一つ前、達也がシャドーボクシングをしながらジョギングしているところ。後ろにみえるのは新河岸川にかかるJRの鉄橋。撮影場所は上写真とほぼ同じ場所から東方をみたところ。
Dm137arakawa203これも上の写真と同じ場所だが、土手の左側の荒川にかかる鉄橋。ラストでデンジマンの5人と達也の弟達次が練習を見守るシーン。デンジマンたちは荒川の河川敷から土手へ上がってくる。
Dm137arakawab204練習する達也たちが走り去っていくシーン。右が新河岸川、左が荒川になる。 「大全」カラーグラビアp.8の「#39撮影時のスナップ写真」が撮影されたのも実はこの周辺らしい。新河岸川をバックに5人が#39ラストの結婚式用の正装をしている。ということは、 #39北町教会の撮影後(もしくは前)に#40荒川土手の撮影が行われたのかもしれない?

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2004年11月 2日 (火)

荒川土手-#19 私の星の王子さま, #20 ゴリラ少年大暴れ, #36 勇気ある仔犬の詩

Dm132arakawa101 #36で犬のゴローをやむなく捨ててきたゆみ子が赤城たちに呼び止められるシーン。都営地下鉄三田線の高島平駅からまっすぐ北上し、荒川土手に登ったところ。#19のラストでデンジマンの5人となるみの兄が話しているところは、写真の少し西よりだが後ろに同じビルが映っている。この場所は'80年代の東映特撮ものでは定番ロケ地といえるようで、ラストシーンなどで頻繁に登場する。デンジマンでも表題に上げた3作品以外にも、#06ラスト, #17グランド, #21輸送車襲撃, #28青梅と子供たちのジョギング, #30ラスト, #34ラスト, #51アイシー杯サッカー場 などで使われているようだ(目印がはっきり映ってないので場所を特定できないが・・・)。「ダイナマン」(1983年,テレビ朝日)#14:突撃チョロッポ兵 のラストでも使われている。
地図情報
Dm134arakawa103 #20冒頭で茂がバナナを食べながら昼寝しているシーン。向こう岸にみえる大きな建物は埼玉県側の戸田競艇場。#19ラストでなるみが遠くを見つめながら風船を飛ばすシーンもほぼ同じアングルから撮影されている(なるみの立っている場所は河川敷)。#20で赤い花の蜜で、強くなった茂がラグビーしているところをケラーが見ているのもこの土手。
Dm133arakawa102 #36でゆみ子が泣きながら走ってきた方向。ゆみ子を呼び止めた赤城とあきらが立っているところも同じ。上写真の場所から東方をみている。この土手、放映当時よりも嵩上げされて少し幅が狭くなっている感じがする。荒川土手というと「3年B組金八先生」のロケ地が有名だが、金八先生の方はここからもっと下流の荒川右岸(千住新橋~堀切橋)の辺りらしい。

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