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2004年9月 9日 (木)

ふじやま丸

A 「フジヤマサガセ」-#16熱海編は小川博士の遺した謎の言葉を中心に物語が展開していく。この言葉、“暗号(anagram)”かと思いきや、単純に「ふじやま丸を探せ」で事件解決。ちょっとこのオチ、謎解きが単純すぎてつまらなかったが、「ふじやま丸」について調べてみたら、なかなか興味深い経歴の船であることを知った。

この船は、俳優の森繁久彌翁(1913年生まれの91歳!)が1964年に建造した日本最大のセーリングヨットで、全長72ft(約23m)、重量90tのケッチ型、二本マストの鋼鉄船で、冷暖房、ビーコン、レーダーと最新の装備を持つ名実共に日本一のヨットだった。かつて海軍の潜水艦を造っていた横須賀に近い追浜の造船所で建造された。森繁翁は石原慎太郎氏に紹介された天山号(メイキッス号に改名)を購入後、ヨット道楽にはまってしまい、あの佐島マリーナを建設、そしてとうとう世界一周のできる大型外洋帆船の建造に至ったという。建造費は当時のお金で約1億円というから、今なら途方もない額になるだろう。写真は「海よ友よ―メイキッスⅢ号日本一周航海記」 (森繁久彌著,朝日新聞社,1992年)より。
B_3 1964年5月、晴海埠頭でふじやま丸の進水式が行われた。東宝管弦楽団の演奏の中シャンパンが抜かれ、三笠宮さまや松田文部大臣など斯界の名士を招待、一般にも公開された。この船はその大きさだけでなく、全てが“日本製”というのが売りだったらしく、秋に開催される東京オリンピックでの「ハッタリかまし」が真の建造目的だったと、森繁翁ご本人が述懐されている。富士山丸(ふじさんまる)とせず、”ふじやま”丸としたのも外国人を意識した名称だったという。江ノ島ヨットハーバーに専用バース(泊地)をもらい、同年8月、“海の女王”は翁の故郷-関西への処女航海に出発した。しかし寄港した西宮を襲った台風20号によって、堤防に乗り上げ大破してしまう。処女航海での沈没ならぬ大破とは、悲劇のタイタニック号を思わせるが、遭難の顛末は「アッパさん船長」(森繁久彌著,中公文庫,1978年,絶版)に詳しい遭難記「”死”の波濤の中で」が収録されている。台風の中の脱出劇は映画顔負けでマジにすごい!

森繁翁はこの後ふじやま丸を持て余して?熱海の後楽園に据えることになったらしい。日本ヨット史に輝く名艇を見てみたかったが、残念ながら90年代後半のホテルリニューアル時に撤去されてしまった。建造から30年を過ぎ老朽化した船体を晒し続けるよりも、女王にとってはよかったかもしれない(初代メイキッス号は奄美の小さな遊園地でボロボロになっているらしい)。

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